私とザ・イエロー・モンキー

吉井和哉自伝「失われた愛を求めて」を読んでみました。
http://www.amazon.co.jp/失われた愛を求めて?吉井和哉自伝-吉井-和哉/dp/4860520718/ref=sr_1_6?ie=UTF8&s=books&qid=1202520068&sr=8-6
私にとってのザ・イエロー・モンキーは、まさに青春の代名詞的存在で、
でも何故か、物凄く私とは縁が無かったバンドでもあります。
だからこそ、解散の理由が未だに知りたかった。知って、納得したかったんです。
・青春の代名詞1、まず一目惚れ。高校1年の夏頃、友人烏田ズズ女史がカラオケで『天国旅行』を熱唱したのを聴いて、楽曲に惚れ込み、アルバム「SICKS」から入りました。彼らも集大成だと語る「SICKS」から入ってしまった私は、物凄い贅沢者…と同時に昇ってゆく彼らを見ていない証拠でもあります。
・青春の代名詞2、すれ違い。私が惚れ込んだ1998年にはもう全盛期を迎え、アルバム「PUNCH DRUNKARD」も発表されていて、伝説の113本ツアー中。当時高校生でお金が無かった私は、中古アルバムを買うので精一杯で、とてもとてもライブになんて行けなかったのが、心の底から悔しかったのを覚えています。「早く大人になって、彼らのライブに行くんだ!!今の自分はまどろっこしい!」というのが、私の当時のエネルギーでした。
しかし、私がやっとバイト代を手にできた頃には、そのツアーも終了してしまい、更にやり場の無い悔しさがありました。サザンのライブには行けたのに…。
二ヶ月の休止の後(高校生にとってこの二ヶ月ってすんごい長いんです)活動が再開してシングルが立て続けにリリースされましたが、楽曲には若干の物足りなさを感じていました。これが成熟期「SICKS」「天国旅行」から入った私の切なさでもあります…あの最高潮の幻影を追っていたんですね、贅沢ですね。
更にテレビ出演を録画したビデオも上手く撮れてないことが多く、母に「頼んでた録画、全然違う番組だった!!」と物凄くキレて号泣したりもしました。
そんな訳で、なんだか凄く飢えてました。
「いいよ!ライブ再開するまでねちっこく待ってるよ!」と私がそんなエネルギーを燃やしている間にも、彼らは疲れきっていってしまい、解散への道を辿っていっていたのです…。
・青春の代名詞3、待機の中での喪失。そうこうしている内に2000年、01年と私は受験シーズンに突入。ライブがあっても行けない状態の中で、本格的な活動停止直前の2001年1月8日東京ドームでのライブ。1月8日…あと1週間でセンター試験、入試本番まで1ヶ月切ってる、そんな折にまさかこんな喪失があろうとは。英語の先生がWOWWOWを持ってるというので、ライブ中継をビデオ録画して!と懇願したのを覚えてます…お正月で実家に帰るからできないと言われてしまいましたが。なにしろ、すごくすごく哀しかったです。入試前1ヶ月間は寝る前にお年玉でようやく買った「jaguar hard pain」を1日1曲ずつ聴くのが自分へのご褒美でした。
大学に入学してバイトもいっぱいして、彼らのアルバムは聴き倒して、カラオケでずーっと彼らの曲をシャウトして、活動再開をひたすら待ってました。
そして2004年7月解散発表。12月26日東京ドームでのビデオツアーが、私の唯一行ったライブです。「JAM」を1曲披露してくれましたが、もうお葬式みたいなライブでした。当時のメンバーにとっても、私にとっても。一緒にいって色々おごってくれたGさんに、相当やつ当たったのを覚えてます。すいませんでした。。
そんなこんな。
私が自由になる前に、火花を散らして去っていった彼ら。
この本を通じて、そんな彼らの内面が知れて、ようやく納得できました。
彼らとは叶わなかった事ばかりですが、私の青春であることは変わりません。ありがとう。